南山進流魚山集


南山進流魚山集の伝承とその種類
南山進流声明を習うために、整備された教則本がなく、それまではどのような方法で学習していたのかはわかりません。明応五年(1496)五月十二日 二階堂 長恵師が三十九才の時に『魚山芥集』(ぎょさんたいかいしゅう・・・以下 魚山集と約す)として編纂されました。 その後、永正十一年(1514)に再校されました。その名称については、内題に『魚山私鈔』と表題されている他、別称としても『声明口伝集』、あるいは『口伝声明集』とも呼ばれており必ずしも一様ではありません。しかしながら、この魚山集の出現にて、南山進流声明の基本教科書として、これまでの不備を補い、声明学習に便宜を与えました。そして、現在でもこれをもととした教則本を使用して学習されております。
魚山集は長恵師が決定された本でありますが、長恵師は何をもとにこれを著されたのか、また長恵師以後どのような写本や刊本が見られるかといいますと次のようなものが見られます。


古 写 本


1、譜博士魚山
南院あるいは善集院にあるといわれるが確認されていない
      
2、覚暁魚山二巻
隆然自筆のもの大聖院にあるというが確認されていない
 
  
3、長恵魚山三巻
直筆のもの如意輪寺にある

4、朝意魚山三巻
直筆のもの普門院にある

5、冠註魚山
多聞院にある、何を指すのかわからない

6、明応魚山
肥前国黒髪山にある、不可解

7、横本魚山
北谷法泉院にある、何を指すのかわからない


刊 本

1、明応魚山
存否未詳である。

2、天文魚山
寂静院蔵版 天文十年開版の写本が高野山に現存しているが、詳細は不明である

3、正保魚山
正保三年三月刊、永正十一年に再校した長恵の魚山を底本とし、付録は長恵の孫弟子の朝意の魚山私鈔を参照して載せている。明治改版魚山の原本となった

4、進流魚山         
正保魚山の再刻

5、慶安魚山
慶安二年正月上梓、原本は正保魚山と同本

6、天和魚山
天和二年上梓天和二年智山の方丈が炎上したとき大般若の版と共に焼失した。新義方の版 新義声明の中興者頼正の弟子、頼仁が上梓した

7、天和魚山
天和二年冬刊行する。同じく新義方の版 

8、貞享魚山
貞享二年十二月上梓、新義方の版 智山上座俊忍房英長が智山声明の興隆者六波羅蜜寺慶宜の校本によって、天和版魚山に校訂を加えて刊行したもの

9、正徳魚山
正徳元年十二月上梓、新義方の版 智山上座尊弁房鏡寛が貞享魚山を改梓されたもの

10、寛保魚山
寛保三年七月重訂 正保魚山を台本とした この本には高野山上当代隋一の故実者である真源師の序と、声明家の理峯師の文章が載せられている 真源師の文章に高野一山の学徒が天和・貞享魚山などの本を嫌って正保魚山を底本にして刊行した事情が伺える また理峯師の文章からも、高野山の声明史上からの寛保魚山の位置付けが了解できる

11、天保魚山
天保五年三月刊 「声明正律」という 三巻からなる 高野山報恩院蘊善師の著述 文政二年に唄讃の格律を正し、天保五年弘法大師一千年の御遠忌を機として報恩謝徳のために刊行した

12、明治魚山
明治二十五年四月二十七日出版 葦原寂照師校訂本 明治二十五年五月十日出版のものが世の中にあり、近年の南山進流声明の教則本として使用されている。しかし、その前にこの版が出版されている。この版と五月出版の版とは少々であるが内容が違っている。なぜこの二本が存在するのかは不明であるが、著者である葦原寂照師の都合で二本の存在が確認されている

13、明治魚山
明治二十五年五月十日出版 葦原寂照師校訂本  近世声明界の大斗として伝えられている葦原寂照師の校訂本 
 
14、新義声明大典    
大正六年初版発行 同十一年八月再版発行 大正版新義魚山というべき本 貞享版魚山がいたみが激しくなり教如師がこれを嘆き、内山正如師に依頼して発行されたもの

15、便蒙魚山仮譜
大正十四年三月刊 松帆諦円師刊行 

16、声明類聚        
昭和五年九月刊 宮野宥智師編纂 明治魚山をもととして、それに魚山集假譜の仮譜を朱書きで付け加え、便宜をはかる。また、常楽会伽陀・土砂加持総礼伽陀に仮譜を付け加えたものを加える

17、進流魚山芥集  
昭和十七年刊 岩原諦信師刊行


18、声明集付仮譜     
昭和三十二年刊 鈴木智辨師刊行 自筆にて現行声明のほとんどを網羅されている



伝承されている魚山集は大略以上のものがありますが、それぞれの時代に即して先徳方がご苦労された歴史があります。多くの人がこの道に苦しみ、落伍される方も多くおられたと聞きます。そんな時、声明道が容易なものではないということを痛切いたします。

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